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6.72016
平等院鳳凰堂に観る!千年変わらぬ人間の「極楽」とは?
先日、10円玉に描かれていて
平安時代の極楽浄土を現したという
世界遺産の平等院鳳凰堂に行ってきました。
京都の大学時代から、ずっと
大好きな場所なのですが
久しぶりにしっかり説明してもらう
拝観に申込むと、面白い事実が!
以下、
解説してくださる係の方の説明
「この平等院鳳凰堂の壁には
この世の行いにあわせて
9つのお迎えがある
と言う事が描かれています」
(え?そうなの??)
「レベルが9段階に
分かれているわけですが」
(ほほう、どんなレベルか興味深々!)
「それは・・・」
(しばらく間が空く・・)
ここで少し間を持たす
やり手な説明係の方に
期待が高まったところで
「上
中
下
です!」
(表現にオブラート感なさすぎっ!(苦笑))
「そして、その3ランクの中も
3つに分かれておりまして」
(ほほう。次こそ、なんか期待!)
「それは・・・(間が空く)」
(それは・・???)
「上
中
下
です!」
(同じかいっ!!)
松竹梅
のようにボカすわけでもなく
明確でシビアな分け方、アッパレ。
というわけで、上の上~下の下まで
9レベルの極楽来迎図が
描かれている平等院
ですが、その図を見て思ったのは
これは来迎の図というより
当時の人達が深層心理の中にある
「幸せ」「安らぎ」が、
象徴的に描かれているという事です。
そして、上ランクの極楽お迎え図
になればなるほど
沢山の様々な仏様がいて、
各々が好き勝手に踊ったり
お気に入りの楽器を
奏でたり、唄ったりと、
楽しそうにしていて
なんだかハーモニーがある図に。
見てる私も笑顔になります。
確かに、この世の平和は
ひとりひとりが好きな音を奏で
自分らしく楽しく生きていて
そこにハーモニーがある事(^^)。
ですが、さらに言うなら
これは、
「ひとりの人間の深層心理」
を現しているとも言えます。
人間の中には、
強い自分から弱い自分
楽しい自分から、悲しい自分
嬉しい自分から、腹が立つ自分
まで様々な自分がます。
全て価値ある自分。
そんな、様々な自分が全て
自分の中にいて良い存在だわ~と
思えていて、全ての自分が
ノビノビと存在を表現できていれば
自分の内側には
ハーモニー(調和)があります
まさにフルオーケストラの
美しい交響曲!
それは仲の良い信頼し合う
クラスメートが集まるクラス
のようで、とても楽しく
まさに極めて楽しい「極楽」のように
心安らぐ空間です。(^^)
でも
「こんな自分嫌だな~」
「なんで自分はこうなの?」
「こういう自分はいなくなればいいのに・・」
と思っていれば、それはお互いを
否定したり無視しあうクラスメートが
集まるクラスでのよう。
その不調和には疲れるばかり。
(会社も同じですよね)
つまり、約1000年前から
人間が心の内側で求める本当の
「幸せ」「安らぎ」は変わっていない
そう感じました。
外側だけでなく
自分の内側のハーモニー(調和)無くして
本当の「極楽」無し。
自分の中の
様々な自分に寛大な人は
人にも寛大なもの
そんな穏やかさから生まれる
極めて楽しい「極楽」の世界
平安時代の人々は、それを
外側にある「極楽」という存在として
「あの世」に求めました。
でも、
それは今世でも得られるものだと
今の私達には分かります。
きっと
極楽来迎レベル=今世の生き方そのもの
なのです。
現1万円札裏側にある「鳳凰」も
平等院鳳凰堂の鳳凰像で、
お金に2つも
図柄が採用されているのは
この平等院だけなのだそう。
一番単位の大きなお札の裏側に
いる平等院の鳳凰像。
「大きな豊かさ」の裏に
「心の極楽」あり
そう伝えている気がしてなりません。(^^)