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平等院鳳凰堂に観る!千年変わらぬ人間の「極楽」とは?

先日、10円玉に描かれていて
平安時代の極楽浄土を現したという
世界遺産の平等院鳳凰堂に行ってきました。
平等院鳳凰堂

京都の大学時代から、ずっと
大好きな場所なのですが
久しぶりにしっかり説明してもらう
拝観に申込むと、面白い事実が!

以下、
解説してくださる係の方の説明

「この平等院鳳凰堂の壁には

この世の行いにあわせて
9つのお迎えがある

と言う事が描かれています」

(え?そうなの??)

レベルが9段階に
分かれているわけですが

(ほほう、どんなレベルか興味深々!)

「それは・・・」

(しばらく間が空く・・)

ここで少し間を持たす
やり手な説明係の方に
期待が高まったところで

 

です!」

(表現にオブラート感なさすぎっ!(苦笑))

「そして、その3ランクの中も
3つに分かれておりまして

(ほほう。次こそ、なんか期待!)

「それは・・・(間が空く)」

(それは・・???)

 

です!」

(同じかいっ!!)

松竹梅
のようにボカすわけでもなく
明確でシビアな分け方、アッパレ。

というわけで、上の上~下の下まで
9レベルの極楽来迎図が
描かれている平等院
ですが、その図を見て思ったのは

これは来迎の図というより
当時の人達が深層心理の中にある

「幸せ」「安らぎ」が、
象徴的に描かれているという事です。

そして、上ランクの極楽お迎え図
になればなるほど

沢山の様々な仏様がいて、
各々が好き勝手に踊ったり
お気に入りの楽器を
奏でたり、唄ったりと、
楽しそうにしていて
なんだかハーモニーがある図に。

見てる私も笑顔になります。

確かに、この世の平和は

ひとりひとりが好きな音を奏で
自分らしく楽しく生きていて
そこにハーモニーがある事(^^)。

ですが、さらに言うなら

これは、
「ひとりの人間の深層心理」
を現しているとも言えます。

人間の中には、
強い自分から弱い自分
楽しい自分から、悲しい自分
嬉しい自分から、腹が立つ自分
まで様々な自分がます。

全て価値ある自分。

そんな、様々な自分が全て
自分の中にいて良い存在だわ~と
思えていて、全ての自分が
ノビノビと存在を表現できていれば
自分の内側には
ハーモニー(調和)があります

まさにフルオーケストラの
美しい交響曲!

それは仲の良い信頼し合う
クラスメートが集まるクラス
のようで、とても楽しく
まさに極めて楽しい「極楽」のように
心安らぐ空間です。(^^)

でも
「こんな自分嫌だな~」
「なんで自分はこうなの?」
「こういう自分はいなくなればいいのに・・」
と思っていれば、それはお互いを
否定したり無視しあうクラスメートが
集まるクラスでのよう。
その不調和には疲れるばかり。
(会社も同じですよね)

つまり、約1000年前から
人間が心の内側で求める本当の
「幸せ」「安らぎ」は変わっていない
そう感じました。

外側だけでなく

自分の内側のハーモニー(調和)無くして

本当の「極楽」無し。

自分の中の
様々な自分に寛大な人は
人にも寛大なもの

そんな穏やかさから生まれる
極めて楽しい「極楽」の世界

平安時代の人々は、それを
外側にある「極楽」という存在として
「あの世」に求めました。

でも、
それは今世でも得られるものだと
今の私達には分かります。

きっと
極楽来迎レベル=今世の生き方そのもの
なのです。

現1万円札裏側にある「鳳凰」も
平等院鳳凰堂の鳳凰像で、

お金に2つも
図柄が採用されているのは
この平等院だけなのだそう。

一番単位の大きなお札の裏側に
いる平等院の鳳凰像。

「大きな豊かさ」の裏に
「心の極楽」あり

そう伝えている気がしてなりません。(^^)

 

 

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